主演が電子、助演は光子の物語、量子力学の話

モノの最小単位である原子のようなとても小さな世界では、“普段僕たちが慣れ親しんでいる大きさの世界の常識”が通じない現象が起こってしまうため、小説を読むように捉えるとよいかもしれません。

量子力学の幕開けは当時のプロイセン王国(現ドイツ)の製鉄所での出来事でした。戦争に勝ったドイツは急速な工業化が進み、数多くの製鉄所が建設された。そのため、熟練工の人数が足りなくなった。当時は熟練工が溶けた鉄の色を見て溶鉱炉の温度を調節していたので、即席で経験不足の工員に判断を任せるわけにはいかず、溶鉱炉の温度調節に問題が生じました。その問題を解決したものが“分光器”だった。温度の変化によって異なる色の見え方をするため、それは可視光の波長が異なる。波長が異なれば分光器から得られる光の強さを表すスペクトル(グラフ)の形が変化するため、特定のスペクトルの形になった時の温度に調節すればよくなった。それにより誰でも溶鉱炉の温度を調節できるようになったため、ドイツの鉄の生産量は飛躍的に伸びた。その時に建てられたフェルクリンゲン製鉄所は世界遺産に登録されています。そこで、温度によるスペクトルが固有な形をしている謎を解いたのがドイツの物理学者プランク(1858~1947)だった。プランクの発表には、それまでのニュートンの力学やマクスウェルの電磁気学にはなかった新しい考えが含まれていた。それが光のエネルギーEは振動数ν(ニュー)のh(ハー)倍であることです。このh(磁界H(エイチ)と区別するためハーと読む)はプランクが求めた定数であり、プランク定数と呼ばれています。この式は光のエネルギーは振動数に比例することを意味します。まず、光はエネルギーを持つということがわかりました。例えば、太陽の光が温かく感じることからも光がエネルギーを持つことが実感できます。次に、振動数に比例することです。この振動数とは周波数(Hz)と同じです。例えば、携帯の電波の周波数は1GHz前後です。その一方、太陽光の周波数は1GHzの100万倍(10の6乗倍)です。そのため、携帯の電波より太陽光は100万倍のエネルギーを持ち、人の肌で温かさを感じることができる(ここで扱った太陽光とは、太陽から放射された光のうち地球まで到達した可視光を指す。太陽自体は可視光よりももっとエネルギーの高い光(紫外線(UV:UltraViolet),X線,電子)を放射しているがその多くが地球に到達できていない。ちなみに、太陽から放射された電子や陽子が地球の磁界によって南極や北極周辺に集まり、空気と衝突した時に発光する現象がオーロラである)。また、紫外線は可視光よりも10倍程エネルギーが大きく、それは遺伝子に悪影響を及ぼす可能性があるため昔とは異なり日光浴が奨励されていない。数年後にプランクは光のエネルギーEはhνだけでなく、その正の整数n倍であるnhνのエネルギーを持ち、光のエネルギーの値は離散値であることを導き、ノーベル賞を受賞した。しかし、プラトンの理論には光は“波”であると考えられていたのに離散的なエネルギーの値を取ることに疑念が残った(マクスウェルの方程式からも光は波であることが導かれていた)。

そこで登場したのが当時26歳の無名な青年アインシュタイン(1879~1955)だった(アインシュタイン家はドイツで一番高い塔を持つ教会があったウルムの街の広場に面していたらしい。行ってみたい)。アインシュタインは光のエネルギーがE=nhνの離散的な値をとるのは光がE=hνのエネルギーを持つ“粒子”からできていて、その粒子が複数のn個ある時にエネルギーがnhνになると考えた。このアインシュタインの光の粒子説は当然論争を生んだ。例えば、ビリヤードの玉は衝突したら跳ね返るように粒子として振る舞うが、海の波のように干渉して高くなるようなことは決してない。普段生活している中で粒子と波の両方の性質を持つものを目にすることがない。この光の粒子説はレーナルド(1862~1947)によって、金属に光を照射すると電子が金属から飛び出す現象(光電効果)により説明された(光の強さは振動数と密度の2つの要素から大きくすることができる。この時、振動数を固定したまま、密度を変化させても、飛び出した電子の速度は変わらなかった。光の密度の変化による強さは飛び出した電子の数を変化させるだけであり、光と電子は粒子同士の衝突をしていることがわかった)。したがって、アインシュタインの光の粒子説は認められるようになった。この光の粒を光子(フォトン)と呼ぶ。アインシュタインは光の粒子説でノーベル賞を受賞した。それから光粒子説の11年後に、アインシュタインは光の運動量はプランク定数hを波長λで割ったもので表されることを理論的に導いた。この理論は後にコンプトン(1892~1962)によって実験的に正しさが証明された。光の波動性は100年前のヤングの干渉(二重スリット)実験やマクスウェルの方程式によって実証された。したがって、光は波と粒子の二つの性質を持つことが明らかになり、そのエネルギーはE=nhν,運動量はp=h/λであることがわかった。

それでは電子についてはどうだろうか。今、電子についてわかっていることは光子と衝突したように粒子の性質を持つことだった。そこで電子も光と同様に波の性質を持つのではないかと考えたのがド・ブロイ(1892~1987)だった。電子の波動性を実証することは困難であり、終に1989年、日立製作所の外村彰によって実証された。これを以て電子が波の性質を持つというド・ブロイの提唱が実験的に実証され、光と同様に電子もエネルギーE=nhν,運動量p=h/λの関係が示され、この関係はアインシュタイン-ド・ブロイの関係と呼ばれている。ここで電子と光子が粒子性と波動性を併せ持つ実験でのパラドックス(矛盾)を紹介する。電子(光子)は波動性を持つため、ヤングの二重スリット実験のように2つのスリットを通り抜けた後に干渉作用によって縞模様が観測された。しかし、粒子性から電子(光子)を一つ一つ別々に飛ばしても同じように縞模様が観測された。電子(光子)は1個しか飛ばしていないため、片方のスリットを通り抜けたらもう片方のスリットは通り抜けることができないはずです。しかしそれでは干渉による縞模様は生じません。したがって電子(光子)を1個飛ばしたら、その1個の電子(光子)は両方のスリットを通り抜けたという事実を認めなくてはいけなくなりました。この現象を理解するためには“普段僕たちが慣れ親しんでいる大きさの世界の常識”の一部を捨てる必要があります。電子と光子の小説を読んでいるようです。

以上より、電子と光子が粒と波の二重性を持つことがわかった。私たちの世界は、電子や光子のような波の性質も粒子の性質を示すなにものかを、「量子」と呼ぶことにした。また、この量子を扱う分野を量子力学と言い、この量子が従う基本的な性質はシュレディンガー方程式で表された。それはオーストリアのシュレディンガー(1887~1961)が導いた方程式だった。次回シュレディンガー方程式を導き、量子の存在状態を解明する

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