とても面白いので電磁気学をこの10段落で紹介
初めて日本に電気が伝わったのが1751年(徳川家九代将軍時)で唯一の外国(オランダ)との交流があった長崎の出島に届いた。それは静電気を生み出す装置でエレキテルと呼ばれるものだった。当時は雷神が雷を出していたように電気の存在がわからず恐れられていた。ヨーロッパは静電気を生み出せていたことから電気に関して日本より進んでいた。この装置を真似して日本でエレキテルを作ったのが平賀源内(1728~1779)。同期は杉田玄白や前野良沢がいて一緒にオランダの医学書(ターヘルアナトミア)を日本語に翻訳していた(解体新書)。日本は鎖国をしていて、平賀源内の研究(科学)を遊びと見なして許容できない風潮(時代)だったため、後世に受け継がれなかった。だから日本の電気の偉人は存在しない。アメリカやヨーロッパでは日本と異なり科学研究に寛容で文化的であったことが発展を後押しした。
同時代の世界を見てみると、日本にやってきたエレキテルと同じようにヨーロッパ人が世界中で披露していた。1746年にこの披露をアメリカで見たベンジャミンフランクリン(1706~1790)(アメリカの100ドル札の人)が同じ装置で実験を重ね電気がプラスとマイナスに帯電していることを決めた。続いて雷が電気であるという論文を”凧揚げの提案”とともに書き、イギリスに送ったが無視された。でもフランスでは注目を集め、賛否両論の論争が起こった。その後(1749年)フランクリンの論文中の凧揚げの提案からフランスの研究者が雷の近くで凧揚げをして手元の金属板まで電気を移動させ取り出すことに成功した。この提案を論文中にしたベンジャミンフランクリンは凧揚げとライデン瓶としてとても有名。※この凧揚げ実験で何人も死者が出ていて、今でも雷の近くで凧揚げたらとても危険だからやってはいけない。
それから45年後。髪の毛と下敷きがくっつくように電気には力が働いている。電気は引力や斥力が生じることを数式化した科学者がフランスのクーロン(1736~1806)(電荷の単位の人)。これが素晴らしくて、力を測る時は天秤やバネ(フックの法則)を使うしかなかった時代に、“ヤジロベエみたいな吊るしたモノが電気の力によって回転した角度”と力を結び付けてクーロンは微少な電気の力(クーロン力)の測定に成功した(1784年)。同時に磁石の力(磁力)も同じように数式化した。ちなみに地球も大きな磁石で方位磁針が北を向くのは北極がS極だから!!(方位磁針はN極からS極に向くから南の南極がN極で北の北極がS極)。
それから16年後の1800年、電気が流れると動物の筋肉は動くこと(例えば心臓のペースメーカの役割)から着想を得たイタリアのボルタ(1745~1827)の電池 (電圧の単位の人)。その数年前に同イタリアのガルバーニ(1737~1798)がカエルの筋肉を異なる金属で繋ぐと脚が動いたことが世界では初めてのカエル電池だった(当時のガルバーニは電池の原理で電流が流れたことに気づかなかった。ちなみに溶液は体内の食塩水)。このボルタ電池のおかげで静電気ではなく動電気(一般的な電流)を使えるようになった。その後フランスの科学者達が電流を使って大躍進。
20年後の1820年、電流を流すと磁界が発生する(方位磁針が方向を変える)ことを数式化したアンペール(1775~1836)の法則(電流の単位の人)。その法則を一般化(直線以外にも適用)したビオ(1774~1862)とサバール(1791~1841)の法則。つまり、電気があれば磁石(電磁石)が作れることがわかった。アンペールは他にも2つの磁石の間(N極とS極の間)の電線に電流を流すと緩んでいた電線が張ったことから、電流と磁界から力が発生することがわかった。これが凄くて、適切な方向の磁界と電流を用意すれば力が発生して回転する、つまり電気モータを作れるようになった。所謂ミニ四駆や電気自動車のモータ。
この考え(電流+磁界→力)から、1831年じゃあ磁界と力から電流を流すことができるのではないかと考え、磁石に力を加えれば(動かせば)電流が流れることを数式化した人がイギリスのファラデー(1791~1867)(充電性能の単位の人)。力があれば電気を生み出せる。つまり発電機が作れるようになった。火力原子力水力発電などはこの”力”を火力による熱エネルギーや核分裂で発生する熱エネルギー、水の位置エネルギーから取り出していることがわかる。電磁気分野でお馴染みのIHの問題も、IHヒータの表面でコイルに交流電流流すこと(力が加えられた磁石と等価)で電気エネルギーを取り出して抵抗(鍋)に噛ますことで熱エネルギーに変換している。じゃあそのまま交流電流から熱エネルギーに変換すればいいじゃんと思うけど、鍋(鉄)を噛ます(通過する)ことで発生する電流が大きくなるから(詳細割愛)(例えばアルミのフライパンならIHでは温かくならない。アルミは磁石にくっつかないように磁界と反応しにくい金属だから。その一方鉄は磁石によくくっつき、磁界と反応の良い金属)、少ない電力で大きな熱エネルギーを取り出せる効率の良い装置がIHということ。
ベンジャミンフランクリンが電気の存在を知ってからファラデーが発電機を発明するまでの85年間 (1746年から1831年)で電磁気学の理論体系が解明された(ちなみに同年代の日本は徳川十二代将軍でペリーが来航する20年前)。これらの電磁気学を4つの方程式で矛盾なくまとめ上げた人がイギリスのマクスウェル(1831~1879)。マクスウェルの4つの方程式にはクーロン、アンペール、ファラデーが導いた3つの理論と”単極の磁石が存在しない”理論(単極の磁石を見たことがない→必ずN極とS極が存在するという帰納的考察)の計4つの理論をもとにした方程式である。
アンペールの方程式から”電界の強さが変化すると、そのまわりに磁界が生じる”、ファラデーの方程式から”磁束密度が変化すると、そのまわりに電界が生じる”。この2つの理論が相互的に作用すると電界と磁界が無限に生じ続けることが想像できる。この電界と磁界が相互生成しながら空間を移動することを実験で証明した人がドイツのヘルツ(1857~1894)(周波数の単位の人)。つまり、電磁波(電界+磁界の移動する波)(波である理由は微分しても正弦波(sinθ)であることがマクスウェルの方程式に矛盾しないから)の存在が証明された。
電界(静電気の電荷から出る)や磁界(磁石から出る)が見えないのと同じで基本的に電磁波は人間には見えない。例えば、X線(レントゲン)や4G(800MHz),Wi-Fi(2.4GHz,5GHz),5G(300GHz)が見えない電磁波である。しかし唯一人間が見える電磁波が可視光(光)で赤色から紫色まで(虹色)(360nm~830nm)の色である。この可視光とは太陽光と同じ種類(同波長)の電磁波(もし人間がもっと小さい波長の電磁波(放射線など)を見ることができたら原子の分裂が輝いて見えたかもしれない)(人間は100nm (可視光の波長) より小さい解像度を持つことができない)。
1800年前半は有線電信(モールス信号)をしていたが、電磁波の特定の波長を検出することができたため、1800年後半に無線電信が開発された。1889年にはイタリアのマルコーニ(1874~1937)は1.5キロに及ぶ無線電信を成功した。この無線通信は軍事的に使用され始め、大いに研究開発され発展した。また、同時期(電磁気学の理論体系が完成後)にエジソン(1847~1941)やテスラ(1856~1943)の発明によって電気機器が実用化された。